2013/08/15

終戦の日 the end of the Pacific War 

 

ー 罪を憎んで 人を憎まず ー
こんにちは、暑い日が続く今日この頃です。さて、今日は終戦の日ですね。私たちが幼い頃は蛍の墓や漫画などなど今に比べると割と近い感覚で戦争について接した気がします。
特に私は親の教育方針で可愛い絵本などはあまり買ってもらえず、戦争の絵本や日本の歴史の本ばかり買い与えては読ませられました。 家族旅行も長崎や広島に行った思い出があります。特に広島の原爆ドームが怖くて怖くて、幼い私は部屋が暗いだけでも怖いのに、そこに空襲警報のような音が鳴り響いて、本当に恐ろしい気持ちを持った事を覚えています。そこを訪れてからしばらくは、家の上をたまにヘリが通るとB29か?!と、とてもビクビクしていました。
そして何より、一緒に住んでいる祖父母(おばあちゃんとおじちゃん)が戦争体験者であることも、わたしは昔から戦争に対して近い距離感であった要因です。ただ、祖父母、特におじちゃんは全く戦争の話しはしません。おばあちゃんは、私が聞くと教えてくれます。ただ、その話しをするととても苦しそうです。だから私も、根掘り葉掘り聞く事は出来ません。

昔からいつもおばあちゃんが言う事は
「とにかくひもじかった」
「みんなガリガリに痩せて黒くて、何でも食べた」ということ。
私はこのひもじさこそ、人間を追い込んで鬼に変えるのだと思います。正常ではない心理状態へ追い込む要因の一つが、この想像を絶する飢えと恐怖感です。
他には、
「全部焼かれて全部が焼け野原になって、何っにも無くなった。あんなに遠い高松の先の先にある焼け残ったコンクリートの建物が、この国分寺から見えた。とにかく全部焼きつくされた。」 と言います。
なんで、あんな田舎まで焼き尽くさなければいけないんでしょうか。私は納得できません。香川は本州からも離れた島で。ただの島国の田舎者なんです。今でさえもとても田舎なんです。みんな本当にひっそりと山で暮らしてたんです。
ご先祖の中にも戦争で亡くなった人もいます。病気にかかったり戦地で亡くなったり。そして友人や親戚、多くが亡くなりました。
それでもおばあちゃんは、竹槍を持って練習していたそうです。
ガリガリでひもじいなか、女性も竹槍を作ってそれで敵を討つ練習をしていたそうです。
そして日本が負けるはずがないと思っていたそうです。
玉音放送が流れてもウソだと心から思ったそうです。
その時代の人は、おばあちゃん含めてそういう洗脳的な教育を受けていたのです。
ただ、先日の帰省で始めて終戦の日のその心境を聞いたので驚きが隠せませんでした。
本当にドラマや、映画の様に、当時の若者、子供はお国のために!といって死んでいったのだなと実感しました。

 大人の中には日本は負ける、戦争は終わると密かに言う人もいたそうです。ただ子供は、そんなこと微塵も感じない様に教育されたわけですね。
今の戦争教育についても、他国からは日本目線で真実が述べられていないと怒りをかうことがあります。真実はどうなのでしょうか。
そんな過酷な時代を生きたおばあちゃんが私にむかって良く言う言葉、
「罪を憎んで、人を憎まず」
おばちゃんの苦労や歳を重ねた結果の言葉だと思います。この言葉が戦争を話す上で当てはめてよいかどうか、それはまだ半人前の私には分からないです。

敵も人間、見方も敵から見たら、敵です。
その時は加害者であっても、裏では被害者であった、またその逆も起こるのが戦争だと思います。
もう絶対にあのようなことが無いように、考えてゆくことがご先祖の供養に繋がるのかなと思います。

カラーで見る第2次大戦 6-6 

悲しい映像ですが、色々な視点から見て、考え学ぶことこそ私たちのすべきことだと思うのです。




















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